居候の1週間

  文:マッチャン
                                     写真:リョウケン

 今回、私のニューヨークの1週間の滞在は父として、又、母としての子供達へのそれぞれの思いの違いを改めて感じる旅になったようです。

 私は以前から妻に、「二人共、もう大人なんだから本人達の意思に任せろ」と言い続けてきました。「自分の事は自分で!」がモットーです。(でも、そうも行かないのが母親?)従って、留学に関しての準備で入学金の支払以外の事は敢えて何もしませんでした。大学がどんな雰囲気なのか?アパートはどうなっているのか?昨年も今年も妻が持ちかえった写真とその話の中から判断するしかありませんでした。しかし、二人の海外での学生生活が落ち着いた今、父親としてちょっと覗いて見たくなったのが本音です。ホームのコメントでもご紹介しましたが、当初、私一人で出かける予定でいましたが、1ヶ月前に帰ったばかりの妻はアパートの浴室と台所のカーテンがまだ取りつけていない筈だし、収納箱が足りないし、簡単な日本の食品なども持って行ってやりたい!を口実に一緒に行く事になってしまいました。母親は子供の身の回りのすべてを自分がしなければならない宿命みたいなものを感じているんでしょうか? そして、NY到着後は小さなアパートの一室で妙な?家族4人の同居の時が始まりました。

アパート前にて

 私は二人の学校を見学し、アパート周辺の環境や便利性を確認してからは何もする事はなく、せいぜい子供達の友人と夕食を共にする程度でした。一方、妻は家具屋、雑貨屋、デパートを行ったり来りの忙しい日々、大変だった様子でした。子供達も最初は妻の行動を呆れた顔で見ていましたが、やはり心強く感じているのかホットした様子が覗えました。私は子供達と妻の帰宅を待つ日々、まるで「居候」。少々、気まずい思いにかられるハメになっていました。父親とは寂しいものなんですね?しかし、いつまで経っても子供は子供…。親の心配に変りはありません。男は黙って、何とやらは遠い昔のお話です。でも、たくましく生活している娘と息子に一安心!久々のNYでの1週間でした。

孤独な父親?ソーホーにて