ラブレター?
僕は年に1〜2回、健康診断(人間ドック)を受ける事にしているが、先日、その日がやって来た。経験の方はよくご存知かもしれないが、胃、肺のレントゲンに内臓へのエコーに血液検査、又、人によっては心電図や脳波などのチェックも受ける事になる。胃の検査ではバリュームを飲まなければならないが、これはあまり気にならない。でも、胃カメラが苦手でなるべくお断りしたい気分である。でも、今回は胃の検査はしなくて済んだ。検査内容で一番気になるのはやはり血液検査だ。ご承知の様に?1年を通して休肝日がない酒好きの僕には気にせざるをえない状況だ。「だったら飲まなきゃいいのに!」と、悦ちゃんからの声が聞こえてきそうだが…。で、今回も検査結果が郵送されてきた。「脂肪肝」でガンマGTPが前回の検査より少し上がり、平均値の5倍ほどの高さと記されていた。要は飲みすぎと食事が影響しているとの事、もう十数年も報告して頂いた内容とほとんど変化はみられなかった。やっぱりそうか!と、その時だけは幾分、意気消沈で落ち込んでしまう。でも、その他の結果に異常は無いようなので安心!と、自分の良いように転換してしまうクセは直らないのが僕である。本来ならきっと禁酒命令が発令されていても不思議ではないと思うが…、早速、詳細を説明していただく為に担当医で市民病院の副医院長の勝見先生に電話してみた。先生は「イエローからレッドカードかな?」と、やんわりお話してくれた。僕は先生のそんな話ぶりに何故かいつも安心感が沸いてきてしまうのだ。そもそも先生との出会いは、ちょうど娘が生まれた年の事で僕の体調が著しく悪化した時であった。それは初めて授かった子供に家中が大騒ぎで何事に関しても娘の光紗が中心の毎日が続いていた頃、当時、妻は産休で仕事はお休みをし専業主婦として育児に頑張っていた。いつもは余り仕事をしてない様に見られている僕は?この時とばかりに…1人で…1人だけで…本当に1人で!名古屋のラジオのレギュラー番組と関東地区のTV番組の司会を続けていた。番組の終了が待ち遠しくて早く子供の顔が見たい、沐浴させてやりたいと楽しみにしていた。でもそんな状況の中でいつしか変な行動をとってしまっていた。それは父親である僕が母親のごとく深夜の3時間おきの授乳にも目をさまし、子供の顔を覗いてはニヤニヤし、朝から晩まで在宅中は母親(悦子)と一緒の動きをしていたと言う事である。気がつけば当然、睡眠不足が続いて仕事にも影響が出てくるかもしれないと、多少不安を感じながらもそんな時間を1ヶ月程続けてしまった。女は弱し、でも母は強し!諺どおりで所詮、男には無理な事…。結局、ある日突然に異変が起こってしまった。それは体のあちらこちらにジンマシンが出てきて、いつのまにかそれが一つの大きな発疹へと広がってしまい遂にダウン。微熱や多少のめまいも出て大学病院へ入院となった。疲労でウイルスが入ってしまったのか?原因不明、検査の結果も解明できない状態。先輩で友人で遠縁でもある病院の横地先生が困ってしまった様子であった。実際、僕に「松崎、やばいぞ!」と、冗談まじりの脅しとも取れる言い方で?慰め?の様に処置してくれた。そして、何だかよく解らないまま、彼は、次の日、担当医師が変わると病室へ告げに来た。(理由はわからない)その時が勝見先生とのお付き合いの始まりであった。僕の症状は先生の適切な診断と処置でみるみる回復へと向かっていったのだがその後、数日間の点滴の入院生活は続けざるをえなかった。後で横地先生から、あの時の勝見先生の判断は凄かったと聞かされた。その意味は未だにわからないがひょとしていたら?と、考えると命の恩人だったかもしれない。(ちょっとオーバーかな〜)よく、人と人とは信頼関係が必要と言われるが、医師と患者も同じだと思う。出会いが縁、僕の先生への信頼が生まれた。それ以来、健康診断はずっと先生にお願いしている。それは先生が大学病院から転勤された後もストーカーのごとく?続いている。世界中に名医と呼ばれている先生が大勢いると思う。でも自分にとっての名医との出会いを見逃してはならず、自分で見つけなければならないとも思う。きっと、あの時がそうだったと思う。検査後に先生から友人感覚で送って頂いている「マツチャンの健康への歩み」と言う、データーファイルがある。今回の健康診断結果の重要性を考えて、今後は多少、節酒への努力をしなければ!、と思うのだが意志薄弱。春夏秋冬、喜怒哀楽を酒の肴に今夜も一杯?。実際は三日坊主で終わりそうである。そして診断データーファイルを再度確認していたら、1通の手紙が添えてあった。「お互い段々、無理は利かなくなってきています。疲れた肝臓をいたわりながら生活してあげましょう。」と…。とても温かな気分になった。そして、このメッセージが先生から僕への健康の「ラブレター?」の様な響きに感じられて仕方なかった。