道東日記

 8月18日に日本の太平洋沿岸に接近した台風13号は予想外の遅いスピードで北上していた。ちょうどその時に僕は今年も北海道ツーリングに出かける計画をしていた。去年は仕事の為に走る事の出来なかった道東を回ってみたかった事と息子が留学した今、一人旅を経験するのが理由だった。

出発予定日の19日、名古屋から苫小牧まで太平洋フェリーを利用する予定でいたが当然の如く欠航してしまい、急きょ新潟まで走って20日発の小樽行きの日本海フェリーに乗船する事になった。新潟港から17時間に及ぶ大荒れの日本海をフェリーの中で過ごし、小樽に着いたのは予定より1時間半遅れの21日朝の5時40分だった。下船したのは6時、そのまま札幌、苫小牧を経由し襟裳岬を目指した。幸いな事に小雨程度の天候で襟裳岬では青空も顔を出していた。岬では島倉千代子さんと森進一さんが歌う「襟裳岬」が交互に流れていて、歌碑が二つ並んで置かれていた。景色は素晴らしかった!しかし、風はヒューヒュー、波はドンブラコ、又、襟裳の春は、いや夏も、何もない夏である事を実感した。

襟裳岬

 その後、海岸沿いを通る黄金道路から一路、釧路へと走り続けて現地には午後4時に到着した。小樽から釧路までは10時間のドライブ…、フェリーの揺れも重なってその日はフラフラ!時々「欽ちゃん走り」?状態だった。22日朝、目が醒めると外は曇りで寒そうな雰囲気、テレビのニュースは知床半島方面の道路が冠水の為に閉鎖されていると伝え、内陸方面は曇りから雨で最低気温14度、最高気温は18度程度と予報していた。今日の目的地は摩周湖、知床、網走、きっと霧の摩周湖だろう!そして知床からは遥か国後の白夜は明けないだろう!なんて鼻唄、8時15分にレインウエァーに身を包み出発した。摩周湖に近づくにつれて風が強くなり霧が出てきた。左手に食堂が見えてきたので小休止と早めの昼食を取ることにし、店の中へと入っていった。ここはライダーハウスも経営している様子で10台程のバイクが止めてあるのが目に入った。僕は特製のミルクラーメンを注文して店のご主人と雑談、その間にも各地から集まったと見られる若者が店の洗面所で洗い物などして入れ替わり立ち代わり出入りしていた。「皆、口コミでやって来るし、常連もいるよ」とご主人、その中の一人の青年が声をかけてきた。同じBMWのK1100に乗っている沼津から来たと言う青年はバイクの性能とかスタイリングに関して話し始めた。本当に好きなんだな〜と感心したが、どうも本人は今日の悪天候の中では走るのを諦めている様子だった。さて出発、摩周湖へ急いだ。予想通りに摩周湖は霧が深く10m先は見えない程で、駐車場のオジサンには、「ご苦労さんだね!」と慰めながら?屈斜路湖へと下り始めた。バイクでの雨や風には慣れてきたものの霧の中のドライブには相当な神経を使った。低速走行しながらやっと屈斜路湖が見えてきた。霧は晴れて小雨に変ったが強い風に度々、バイクと体が持っていかれそうになる。実際、写真を撮るための三脚が倒れそうな勢いだった。それにしても寒かった。次は知床、どうしようか?道路閉鎖とこの天候では諦めざるをえない。無理はしないほうがいい!と言い聞かせて網走へのルートを探していた。

摩周湖
 

屈斜路湖

 知床をパスした為に予定より早く網走に入る事が出来た。網走では肌寒さはあったが雨はもう上がっていた。何となく今日はゆったり出来そうな気がしてたのでホテルの駐車場の裏手にある水道を借りて簡単にバイクの洗車をする事にした。ダート道路を走ってきたわけでもないのに相当な汚れだった。そろそろ夕食時間、昨日の釧路ではスーパーで購入したのり弁と惣菜と日本酒だった。今日は豪華な食事をしてみよう!と、レストランへ下りていった。定食が主体のメニュー、その中で一番高価な品を注文した。2500円也、豪華な?食事だった。考えてみると昨日の夕食と変わりない値段である。お薦めの定食、新鮮で美味しかった。そうそう、夜のニュースで知ったが今日、大雪山系の黒岳山頂で初冠雪がみられたそうだ。さて、道内3日目の予定は、網走〜能取岬〜サロマ湖〜層雲峡〜旭川までのルートである。23日9時30分出発、今日は晴天で絶好のツーリング日和だった。はじめて走る道路、オホーツク海に自然の偉大さと恐さのようなものを感じた。低気圧に入り込む風のせいか、白くはっきりとした波頭が押し寄せていた。太平洋、日本海とは何か違った印象を受けた。海岸から今度は内陸へと向かった。旭川までちょっと寄り道のつもりで層雲峡を選んでみたのだが、242号から333号へ入る手前で右折か左折かで迷ってしまった。仕方なくバイクを止めて地図を確認することにした。多分左折だと思っている矢先に、軽自動車に乗った母子に声を掛けられた。30歳くらいの青年の手には捜索願と書かれた用紙があった。3日前から山へ仕事に出かけたまま行方不明の父親を探していると言う。警察と自分の携帯電話、乗っていた車の車種、父親の写真、最近の髪型まで疲労の色を隠せない様子で話した。僕はただツーリングをしている人間で、地元の地理には詳しくない、と答えながらも見かけたら必ず連絡すると約束して別れた。バイカーには色々なスタイルがあるが、オフロードライダーとかダートコースを好むライダーなら見つける可能性はあるだろう。きっと青年はそんなライダーの気持を理解して声を掛けてきたのだろう。どんな時にも場所にもドラマはあるが妙に気になった出来事であった。無事、見つかることを祈っている。そう思いながら走り出したら、左折するはずが間違えて右折してしまっていた。気がついたのはしばらく経ってから、まあ、いいか!予定は未定、しょうがない。良いじゃないの、縁が無かったんだ!と割り切っていた。今日もまた予定時間前の目的地入りになりそうである。ちょっと一息入れようと「道の駅」に立ち寄った。ヘルメットをはずしグローブもはずした。途端に右手首に痛みを感じた。妙な痛みだった。それもその筈、蜂が針を手首に刺したままの動けない状態で止まっていた。今、走って来た道は確かに虫が多かったがよりによってジャケットと手袋の隙間に入り込むとは…、ツイテナイよね!携行していた薬を塗って事無きをえたが頭にきて踏んずけてやった!15時20分、旭川到着。昨年の夏、息子と苫小牧で別れて僕はここ旭川へ、彼は襟裳岬から釧路を目指し走り出した。今頃息子は何処を走っているのか?などとホテルの窓から外を眺めていた事が甦った。だからこの街への印象は特別であった。そんな気持が通じたかのようにホテルのスタッフが暖かく迎えてくれた気がした。旅をしていると余計に感じられる人の優しさと厳しさ、ましてや一人旅に関しては一段と敏感になるものだ。チェックイン後に街中を歩いてブラブラ…、酒屋に立ち寄り日本酒「男山」を購入した。今日はこれで十分!北海道の旅もこれで殆ど終了で残すは函館まで走るだけになった。24日最終日、高速道は旭川から長万部まで続いているが、そこから函館までは一般道である。それが実に単調な道で交通量も多い。今日、函館に着いたばかりと見られる多くのライダーとすれ違う。すれ違いざまに手を上げて挨拶を交わす北海道特有のサインがあるが、はじめてのライダーはそのサインの意味が解らない。去年の僕達親子もそうだったな〜、と思い出す。天候に恵まれなかったのは今年も同じで自然を味方にする事が出来なかった。それが旅かもしれない。函館の街が見えてきた。雲が足早に流れていたが雨は降っていなかった。その日の夕食は「活きイカ」。一パイまるごと料理してくれて1800円也。美味かった。今年の北海道ツーリングは少々、欲求不満が残った。でも追かければ追かけるほど逃げていってしまう不思議な大地、北海道!来年も帰ってくるぞ!と心に決めていた。


その後

函館に到着した途端に携帯電話に連絡が入った。伊藤君だった。このHPに度々登場する僕達の舞台監督だ。明日と明後日のツーリングに合流するとの事だった。明日は秋田県の能代市で宿泊を予定していたが、彼はもう既に同じホテルに予約してあると言っていた。準備万端?どうみてもお互い中年ライダーの二人だが行動はまるでオモチャを与えられた子供と同じ。25日、函館発のフェリーにて青森港に到着。約束通り夕方5時半に東北道の阿闍羅SAにて合流、能代へ向けて走り出す。彼は8月上旬に納車したばかりのBMW K1200を軽やかに扱っていた。東京からわざわざ青森、秋田までやって来てくれたんだ。でも、本心は何だったのか?これもお互い酒好きの僕達、一杯呑みにやって来ただけかな?それも良し!当然の如くその夜は能代の居酒屋「ていちゃん」で宴会状態だった。26日、遅めのチェックアウトで男鹿半島へ出かけた。一人のツーリングもいいし、二人でのツーリングも楽しい。秋田市内のファミリーレストランで別れて僕は国道7号を南下した。蒸し暑さが次第に増してくるのを感じた。そして少しずつ辺りが暗くなってきた。でも右手に見えた日本海へ沈む夕日はとても素晴らしかった。この分だと新潟到着は相当に遅れそうだ。26日、新潟泊。名古屋到着は8月27日午後5時を過ぎていた。7泊8日で走行距離は約2800km。安堵感からか少し疲れを感じた。でも今年も誰かにツーリングの感想は?と、聞かれたら絶対又、こう言うだろう。「僕自身の気力と体力をほめてやりたい!」と…。

日本海・夕日とバイク