大晦日・元旦
大晦日の夕方、6時頃から呑み始めた僕はK-1のテレビ中継で目が醒めた。サップの勝利が決まった後に、紅白歌合戦へチャンネルを変えてみた。さだ・まさしが「精霊ながし」を唄っていた。僕は何となく、「紅白か…」と、ぼんやりと酔いにまかせていた。ウトウトしていたら、画面は変り、時刻は0:00分と画面左上に表示された。居間のソファーで横になっている僕の回りには、母も妻も子供達の姿もなく、一人っきり、(これはいつもの事ではあるのだが・・・)自分に明けましてオメデトウと呟いた。20年振りに迎えた日本での新年、そんな始まりだった。2003年の幕開け!僕は急に空をみたくなった。そして、庭に出ていた。昨年までのハワイ、爆竹の音が鳴り響き、目の前すら見えないほどの白煙と硫黄の臭いはまったく無く、それが何か遠い昔の光景に思えてしょうがなかった。本当に静かだったし、「俺はやっぱり日本人」を実感した瞬間でもあった。2階の部屋に戻ってみると、妻と子供達は寄り添いながらテレビを見ていた。僕が入っていくと、「オメデトウ」の一言、「酔っぱらいのオヤジが起きてきたな〜」、そんな感じが伝わってきた。寂しいね〜…、父親は悲しい立場?を実感してベッドへもぐり込むことにした。
元旦には、それぞれの家庭でそれぞれのお正月の形があると思う。我が家は昔から朝風呂に入りお屠蘇を頂く事を決まりとしてきた。もっともそれは、父親、つまり家長だけの事、今年は我が家を代表して僕が行った。そして朝10時、家族5人が集まって新年の朝食が始まった。深夜に初詣へ出かけた子供達は眠そうな顔で起きて来て、「おめでとう」、と挨拶を交わした。テーブルの上には、我が家に伝わる津軽塗りの5段のお重にお正月料理が美しく盛られていた。妻が心を込めて作ってくれたもの、僕は子供だった頃を思い出していた。そして乾杯、お雑煮、お正月気分一色だった。何故か心ウキウキ、嬉しくなってくる自分を感じていた。しかし、会食開始から15分経過、娘と息子は「おやすみ〜」と言って、自分たちの部屋へと戻って行った。「おやすみ?」、僕は心の中で「バカヤロー、新年らしくシャンとしろ!」と思ってはみたものの…、まあ〜、しょうがないのかなぁ〜、僕もそうだったのかもしれないし…、正月そうそうに怒ってみても無駄な事、「おやすみ〜だ」と、嫌味まじりに返答して後ろ姿を見送っていた。そんな子供達二人も、今月の中旬にはNYへ戻って行く。居れば居たで心配、居なければ居ないで又、心配、親と子は一生こんな関係なのだろう。そんな出来事が新春の始まりだった。でもまあ、こんな調子で今年も無事に一年を過ごせる事を願っている。
皆さんの「大晦日・元旦」、そして、新春はどんな出来事で始まったのだろうか?夫婦水入らず?それとも子供達や孫達に囲まれて?それとも一人っきり?ともあれ、今年一年も健康に幸せに暮らしたいもの!、お互いに頑張りましょう!