願わくば・・・
子供たちがNYへ戻ってからもうすぐ1ヶ月になる。その丁度1週間前の8月23日、僕と娘はバイクに跨って一泊二日の伊勢志摩ツーリングへ出かけた。生憎、その日は三重県地方に大雨洪水警報が発令された最悪の天候、何もそんな日に、と、誰もが思うだろうが、以前、大型自動二輪免許を一回で合格したら出かけよう!と二人で決めていた。約束の日がその日だった。
早朝に起床した僕はテレビの天気予報を見ながら娘の動向が気になっていた。どうするのだろう?決行か中止か?バイクはやめて車に変更かな?などと考えながら娘の部屋へ行ってみた。予想に反して娘はすっかり準備を整えていつでも出かけられる様子だった。僕は「大雨になりそうだぞ!行くのか?」と聞いてみた。娘は「もちろん!」と、答えがかえってきた。誰に似たのか?いい根性、僕も気合を入れ直し出発の準備にとりかかった。
9時過ぎ、近くの八幡宮へ安全を祈願して参拝、名古屋高速から東名阪道へと走り出した。雨は徐々に強さを増してこれからの大雨を予感させていた。僕にとっては何度も経験している悪天候、すっかり慣れっこになっているが娘はどうだろうか?バックミラー越しに気になっていた。しかし、亀山ICから伊勢道へ入る頃には肩の力も抜けて落ちついた様子に変わっていた。今回のツーリングルート、1日目は伊勢志摩スカイラインからパールロードを抜けて志摩半島の賢島へ、そして帰路は賢島から伊勢道路を北上して鳥羽から知多半島の師崎まではフェリーを利用するルートを予定していた。が、この天候ではスカイラインはきっと大雨だろう。当然危険は避けるべき、そこで急遽、逆ルートに変更することにした。まずは明日に参拝する予定だった伊勢神宮に向かう事にした。外宮、内宮、久しぶりに訪れたお伊勢さん、参拝中は幸いにも小雨に変わって静寂と荘厳な雰囲気をより一層かもし出していた。参拝後は昼食、名物の伊勢うどんをオーダーしてしばし休憩することにした。天候しだいでは少し寄り道しながらの気ままなツーリングと考えていたが断続的に雨は振り続き、致し方なく2日目に予定していた伊勢道路を一路賢島へと目指した。緩やかなワインデイングが続く伊勢道路、本来なら娘には適度な刺激の走りを経験が出来ただろうがこの雨では安全運転が優先、雨しぶきを上げながら慎重なツーリングに徹していた。徐々に雨は勢いを増してドシャ降り状態になっていった。伊勢道路を右折した頃にはヘルメットのスクリーンは曇りはじめ、又、豪雨の為にスクリーンをはずして裸眼で確認せざるえない状況、最悪の天候下を走りながらホテルに到着したのは4時を過ぎていた。仕事では晴れ男の僕もツーリングでは何度も大雨男になってしまう。神様が自然の驚異を忘れるな!そんな時を与えてくれているんだ!などと自分に言い聞かせて部屋のベッドに寝転がっている娘にまずは感想を聞いてみた。「疲れた!」の一言、もっともである。が、まんざらでもない様子にも感じられた。今日は美味しいものを食べて明日に期待、と、励ましながら夕食の時間までを部屋で過ごした。伊勢といえばイセエビにアワビ!その夜は少し贅沢な夕食、娘とのツーリングの初日はそんな日だった。
ホテルにて
翌24日、朝食をとりながら雲の流れを気にしていた。今日は曇りのち晴れの予報、早めの天候回復を願ってホテルを後にした。程なく雲の切れ目から青空が広がって絶好のツーリング日和となった。路面も乾きだした。自然に僕と娘の顔はほころんでいた。今日はワインディングを楽しめそうである。僕の「BMW」と追走する娘のアメリカンスタイルの「スティード」は英虞湾、的矢湾、そして太平洋を右手にパールロードを走っていた。パールロード!お勧めのルートである。今日はパールロードから鳥羽港、そして伊勢志摩スカイライン、再び伊勢道路を南下して鳥羽フェリーターミナルという半周遊のようなルートを予定していた。焦らず、急がず、安全に、を復唱しながらスカイラインへとむかった。展望台にてしばし休息、その頃には気温がトンドン上昇して汗びっしょり、ライダーにとっては冬の寒さより夏の暑さのほうが比較にならないほど過酷なものである。
展望台
伊勢志摩は名古屋とは馴染みが深い場所だ。交通アクセスもいいし宿泊施設だって完備されている。それ以上に手軽に出かけられる距離が魅力である。しかし、今まで出かけるチャンスがなかなか持てなかった。パールロードもスカイラインも伊勢道路も初めて走る道、平日のせいか交通量も少なくて適度なワインディングを満喫する事が出来た。
その後、予定通りに鳥羽港から知多半島の師崎港までのフェリーに乗船した。70分の船旅中はお互いの自由時間、言葉も交わさずにそれぞれのツーリングを振り返る「ひととき」だった。
娘は今年22歳になった。もうすぐNYでの学生生活を終えて日本へ帰る予定である。そして社会人としての準備に取り掛かる。本当に子供の成長は早いもの、ヨチヨチ歩きの頃のイメージがいまだに残っている僕には信じられない様な気分である。そんな大きくなった娘とツーリングを楽しむ事のできる僕はやっぱり「幸せな父親」なのだろうか?それとも「幸せな娘」なのだろうか?多分、両方が「幸せ者」だろう!願わくば・・・、社会人となっても、ひょとして、ひょっとして嫁?にいったとしても、いつまでも同じ空間を共有できる「幸せな父と娘」でありたいと感じたツーリングの旅であった。