新年のご挨拶
2008年1月11日、僕たちはハワイ休暇をおえて帰国した。毎年恒例という言い方をしてきたお休み、でも、今年に限って言えば、子供たちが一緒でなかった事に、何か味気ない気がした。もっとも、二人とも社会人として自立したのだから当然のことだろう。しかし、母親、エツチャンの表情には、僕以上に寂しさが感じられたのが印象的だった。
昨年はちょっとした理由(わけ)があって、年末年始は久々に日本で新年を迎えた。あれから一年が過ぎた。でも、その一年が何か遠い昔の事の様に思えてならない。特に2月以降、もっとも、「NHK英会話」のロケに関してはOAのおかげで記憶に新しいし、はっきりと覚えているが、その以後の記憶、何のコンサートだったのか?場所は何処だったのか?休日は何していたのだろうか?もちろん、スケジュール表を確認すればハッキリするのだが、結局は「うわのそら」状態だったのが真実である。何とか症?ではないが、多分、人という生き物は精神状態によっては、時間(とき)の流れ方が変化するのではなかろうか?
さて、そろそろ仕事のペースも戻りはじめた今年の2月だが、先日の節分、つまり、2月3日の仕事はとても印象的であった。ご存知のように、節分とは季節が移り変わる四節句の立春の前日、一説によれば、立春からが新年の始まりと位置づけている慣わしもあるようだ。そんな縁起のよい日に、僕たちは愛知県犬山市にある成田山での「節分まつり」の仕事を頂いた。はじめての経験、緊張感があったのは当然だったが、幸い、川瀬信徒課長の優しさ溢れた気配りのおかげで、日本の歴史的祭事の良き文化を再確認する事ができた。ご本尊は不動明王、左手には縄、右手には剣、悪者を捕らえ剣で成敗するとの事、従って、成田山には鬼は存在しなくて、豆まきは「福は内」だけを唱えるとの事だった。又、屋外での「豆まき」前には本堂にて、除災招福のご祈祷、宮本主監が護摩木を焚き、僧侶の方々が太鼓に合わせてお経を唱える光景を1メートル程後方で正座して眺めていた。本当に身が引き締まる思い、体中が清められていく感じがしていた。その後、法螺貝を吹く山伏の皆さんを先頭に、僧侶の皆さん、僕たちゲスト、特別年男女の皆さんの「お練」で豆まき会場へと向かった。生憎の雨、又、底冷えの天候だったが、大勢の参拝客の皆さんに「福豆」を届けることができたと感じている。
豆まき式
参拝者の皆さん
知ったかぶった言い方をすれば、古代、世界中に生活する人類は「農耕民族」、「騎馬民族」、その他、「いろいろな民族」に別れていたと聞く。でも、共通するのは、神仏を敬う事の大切さを感じて生きてきた事だと僕は思っている。当然、農耕民族だった日本人の祖先は「五穀豊穣」を願い四季から授かる恵みへの感謝、生きている事への感謝の気持ちを「祭事」によって表してきたのだろう。良き伝統行事に参加できて感動の一日だった。良かった!
犬山成田山の「豆まき式」を終えて帰宅した僕は、いつもとは違う興奮状態のまま、「これは春から縁起がいい〜」などと勝手に思い、賜った御札をどこへお供えしたらいいものか?又、枡は何処へ置いたらいいのだろう?等など考えあぐねていた。でも、気持ちの問題、まずは福豆をまく事にした。多少のテレ?もあり、大声ではなかったが「福は内」、「福は内」と呟きながら部屋の隅々にまいていた。すると、何故か僕は子供だった頃の自分が甦った気がした。祖母、父母の見つめる中、大きな声で「豆まき」をした思い出・・・、賑やかだった。でも、今年は夫婦二人だけの「節分」、ん〜、何と言ったらいいのか???
しかし、近い将来には多分?僕たちはお爺ちゃん、お婆ちゃんと呼ばれる日が来るだろう。(きっと?多分?どうなることやら?)もし、そんな時が来たら、昔の様に家族全員で大声出して「福は内」、「福は内」の大合唱がしてみたい、そう願っている。
毎年、誰もが一つ年を重ねる事になる。僕には寂しい事でも、嬉しいと言う事でもないが、家族が健康に幸せに暮らせる一年である事を祈願したい。そして、僕たちを応援してくださるファンの皆さんも「幸せな一年」をお迎え頂きたいと願って、「新年のご挨拶」!
宮本主監と記念撮影
紫城るいさん&普天間かおりさん
追記:
冒頭に、昨年2月以降のスケジュールの記憶がはっきりしないと書いた。それは、予期せぬ出来事が原因、精神状態にも多大な影響を及ぼした。でも、来年の今頃、いや、何年たっても「2008年」を振り返る時がきたら、きっと、忘れられない出来事として、記憶に残っているだろう。